神鍋フェス『まんまる』からつながる、もうひとつの「聖なる巡礼」
まんまるの旅は終わらない。
祈りと神話に出会う「もう一歩」。
さあ、今こそハチ北・鉢伏山へ。
2025年7月5日、神鍋高原で開催されるフェス『まんまる』。
自然の中で祈り、音と光に包まれ、心を開いていくその時間は、ただのイベントでは終わらせたくない体験になるはずです。
「言葉にできないけど、心の奥が揺さぶられた」
「なんだか、自分の奥に“何か”が目覚めた気がする」
そんな気持ちが芽生えたなら、それは魂の旅の始まりかもしれません。
実は、まんまる会場から車でたった40分の場所に、もうひとつの「まんまるの続き」があるのをご存知でしょうか?
それが、ハチ北高原(鉢伏山)です。
この地には、「龍が眠る山」「隠れた神域」「女神が鎮まる霊峰」といった不思議な言い伝えがいくつも残されています。
近年では、自然巡礼やエネルギースポットを訪れるスピリチュアル・トラベラーたちの間でも、じわじわと注目を集めている場所なのです。
「まんまる」で感じた感覚を、そのままにして帰るのはもったいない。
フェスの高まりを、もう少しだけ深く、自分の中に根付かせてみませんか?
心を開いたその先に、訪れるべき場所がある。
この記事では、そんなハチ北高原の「神話と祈りが息づく風景」をご紹介します。
さあ、宇宙と魂を繋ぐ、小さな巡礼の旅へ向かいましょう。

ハチ北って何?鉢伏山ってどこ? なぜ私たちは鉢伏山に立ち寄らなければならないか
なぜ、ここは「寄り道」ではなく「巡礼」なのか
兵庫県美方郡香美町、標高600mの山あいに位置するこのエリアは関西最大のスキー場を有し、冬にはスキーリゾートとしてにぎわう場所。
しかし雪のない季節には、観光地らしい喧騒から離れた、静けさに守られた森と水の聖域としての顔を見せてくれます。
背後にそびえるのは、霊峰・鉢伏山(はちぶせやま)。
地元の人々からも「この山には“何か”がある」と、昔から静かに語り継がれてきた場所です。
・龍が眠るとされる「龍宮神社」と「龍宮岩」
・山の上に鎮まる女神「龍宮乙姫 豊玉姫命」
・霊的な存在に出会う「もののけの森」
・水が語りかける「たたらの渓流」「昇竜の滝」
ーーここには、観光ガイドにも載っていない祈りの風景が点在しています。
かつて明治時代、大本教の創始者・出口なお氏が「この地にはどえらい神様が鎮まっておられる」と語り、山全体が「神が宿る場所」として祀られるようになった歴史もあります。
これらの物語が今もひそやかに息づいているのが、ハチ北高原。
喧騒のない、でも確かに「気配」がある。
山と水と祈りが溶け合うこの場所には、「ただの寄り道」では終わらない何かが眠っています。
呼ばれた人だけが、なぜかここに立ち寄ることができる。
その理由は、頭ではなく魂が知っているのかもしれません。
「フェスで開いた心の扉を、そのままにしておきたくない」
そう思ったあなたにこそ、この地がやさしく応えてくれるはずです。
Column
龍が眠る山──意識のルーツに手をのばす旅へ
ハチ北高原の背後にそびえる山──鉢伏山(はちぶせやま)。
この山には昔から、「龍が眠る」と語り継がれてきた物語があります。
山のふもと、ハチ北旅館街の一角に鎮座する龍宮神社。
その中に祀られる「龍宮岩(りゅうぐういわ)」は、1546年に起きた大洪水を鎮めた霊石として知られています。
この岩こそが、龍の尾──つまり、「龍のはじまり」だと伝えられているのです。
そして、その龍の体をなぞるように山を登りきると、山頂には数々の霊石と、祈りの場として建てられた「石の宮」が現れます。
この地は、龍の頭──つまり、「龍の意志が眠る場所」。
龍の尾と頭を結ぶように歩くこの巡礼路は、地元の人々の間で「龍の背をなぞる旅」と呼ばれ、静かな信仰の道として語り継がれてきました。
この鉢伏山が「聖地」として認識されるようになったのは、明治時代のこと。
神道と独自の霊学を融合させた新宗教「大本(おおもと)」の開祖・出口なおが、霊的な啓示を受けてこの地に目を留めたのが始まりでした。
大本教は、政治や経済に押し流される時代のなかで、「見えない声」を聞こうとした人々の運動でした。
彼女はこう語ったとされます。
「但馬には、どえらい神様が鎮まっておられるから、早く開いてくだされよ。」
大本教では、鉢伏山には龍宮乙姫 豊玉姫命(とよたまひめのみこと)が鎮まるとされます。
豊玉姫命は、海神ワタツミの娘にして、ホオリ命との間に神の子を授かる母性の神格。
山の霊と海の霊、陰と陽、生と死──
あらゆる“対極”を結び、次なる命へと導く再生と変容の女神として知られています。
大地を巡る水のように、静かに、しかし確かに私たちの内側に働きかける存在。
それが、この山に宿る神さまなのです。
まんまる=「円環」と「調和」というテーマと、鉢伏山に宿る神話のストーリーは、どこかで繋がっているのかもしれません。
鉢伏山を歩くと、空気が変わる。風が語りかけてくる。
そう感じたら、もしかするとそれは、この地に込められた「祈りの記憶」にふれた瞬間かもしれません。
Column
おすすめスポット:もののけの森――魂の通り道としての「内なる巡礼」
ハチ北高原には、ふと足を踏み入れた瞬間に、「静寂の中の呼び声」のようなものを感じるエリアがあります。
それが、地元住民の間で「もののけの森」と呼ばれる、小さな巡礼の道です。
もののけの森へようこそ
ハチ北高原の更に奥深く、今にもシシガミ様やこだまと出くわしそうな、苔むした深い森。
それはまるで、静かな異界。
「昇竜の滝」、「たたらの渓流」、「もののけの森の散歩道」、「鳥の巣展望台」。
そのすべてを有する神秘的なこの森こそが、グリーンパークハチ北キャンプ場に隣接した「もののけの森」です。
「まるでジブリの世界」と言われるそこは、一歩足を踏み入れた瞬間別世界。
ある場所から、まるでベールを経たように空気が変わります。
鳥の声、土の匂い、光の粒ーー
すべてが研ぎ澄まされて、身体が感覚優位になる。
ここは、五感ではなく「六感」で歩く森。
外から内へ、自分の中心へと向かって進む、魂の胎内巡り。
その順路をたどっていくことで、あなた自身もまた、「新しい視点」と「波動」を手に入れることになるでしょう。
▶ 第一の通過点:鳥の巣展望台 ―― “視点がひらく”
最初に辿り着くのは、「鳥の目」を持つ場所。
この場所は、あなたにまず「目線の変化」をもたらします。
足元にある世界を少し離れて、魂にもうひとつの視点=「俯瞰のまなざし」を授けてくれる場所です。
自分をいつもより少し遠くから見ること。
それは、新しい波動に触れるための「チューニング」の時間。
風が視界を洗い、空が胸を開いてくれる。
「再誕の巣」であり、「魂の高み」へとつながるアンテナ塔。
ここから始まる道のりは、もう、ただの散歩ではありません。
魂の感度を取り戻すための、はじまりの一歩です。
この展望台は、静かな目覚めの場として、あなたと天をそっと結びます。
※ 鳥の巣展望台は上級者向けです。
小学生未満のお子様や足腰・体力に自信のない方はご遠慮ください。
▶ 第二の通過点:たたらの渓流 ―― “流し、ゆるす”
もののけの森の中に流れるたたらの渓流は、大谷川 - 湯船川 - 矢田川へと続く、偉大なる源流。
源流ならではの澄んだ水質が特徴で、真夏でもひんやりと冷たい水が流れています。
冷たく、やわらかく、すべてを包み込む水。
ここはかつて、鉄を鍛えた「たたら場」があったとされる場所。
火と水と風がぶつかり合い、何かが形を変えていく場所。
いまはもう、静けさだけが残るこの水辺で、あなたの中の「古いもの」を、そっと流してゆきます。
握りしめていた感情、もう要らなくなった自分、誰かから受け取ってしまった重さ――
水に手を浸すと、驚くほど自然に、それがほどけていきます。
ここは、「ゆるし」と「再生」の通過点。
「次の自分」に進むための、間の場所です。
▶ 第三の通過点:昇龍の滝 ―― “祈りを空へ返す”
さらに足を進めると、森の終点にあらわれるのが「昇龍の滝」。
ちいさなふた筋の流れが、龍のように空へ向かって昇っていく姿。
「雄滝」「雌滝」と呼ばれる二本の滝から成り立つことから、縁結びの滝としても密かな人気があるこの滝は、魂の「祈り」をもっともよく受け止めてくれる場所です。
ここまでの道のりでほどいてきたもの、手放したもの、願ってきたこと。
それらすべてを、ここで空に返す。
声に出してもいい。
手を合わせてもいい。
ただ滝の音に沈んで黙っていても、それでいい。
そしてもう一度、本当の自分と出会うための場所。
昇龍は、運気、氣脈、生命力の象徴です。
ここは、地のエネルギーが垂直に立ち上がる「上昇の場」。
「上がる」そして「出会う」ための祈りを捧げるのにふさわしい場所です。
二本の滝の間には小さな祠がひっそりと佇んでいて、いつまでも私たちを見守ってくれています。
森を出るころ、もうひとりの自分が歩き出す
もののけの森で行われるのは、「魂の再調律」。
ここを歩いたあとは、同じ空の色が、少しだけ違って見えるかもしれません。
同じ風の音が、少しだけあなたの奥に届くかもしれません。
この森は、ただの風景ではありません。
あなたの中にある「まだ出会っていない自分」と、静かに向き合う場所です。
“龍の尾”に泊まる──龍宮神社のふもとで、心と体を整える
巡礼の旅に、立ち止まる時間はとても大切です。
ハチ北旅館街にはたくさんの旅館がありますが、今回の旅には『よなごや』さんが特にオススメ。
『よなごや』は、龍宮神社を敷地内に有す、築100年の母屋のある小さなお宿。
その敷地内には、かつて1546年の大洪水を鎮めたとされる霊岩「龍宮岩」が祀られており、ここがまさに「龍の尾」とされる場所です。
「宿泊する」というよりも、「場に身をゆだねる」という感覚。
山の静けさに包まれながら眠りにつき、目覚めとともに朝日を浴びて龍宮神社に手を合わせる時間は、ただの宿泊ではない、深い自己調律の時間になるはずです。
龍宮乙姫の息吹が宿るこの土地で、一晩じっくりと、自分自身の旅を受け止めてみてください。
ちなみにお宿のお父さんは、かなりの情報ツウ。
鉢伏山の伝説について聞いてみたら、まだ誰も知らない情報を教えてくれるかも。
鉢伏山は今も “生きた祈りの山”
鉢伏山を訪れたとき、多くの人が口にするのは「言葉にできない静けさ」。
ここには、いわゆる立派な社殿や有名な神社があるわけではありません。
あるのは、山の稜線、岩のかたち、風の音、そして木々の気配。
それらすべてが、かつての人々にとって祈りの対象でした。
そして今もなお、ここではこの山全体がご神体として、大切にされています。
山頂にたたずむ「石の宮」は、小さな祠といくつかの霊石にすぎません。
けれど、その場に立ったときに感じる感覚は、訪れる人の心を深く揺らします。
ここは、誰に強制されるでもなく、誰かに見せる必要もない、「自分だけの祈り」を静かに捧げることができる場所。
神鍋高原フェス『まんまる』で、人と出会い、感情を交わし合ったあなただからこそ、そのあとの時間を、自分の奥深くと向き合うひとときにしてほしいのです。
音を浴び、言葉を交わし、「共鳴」した後は、今度は静けさの中で「内なる声」に耳を澄ませる──。
そんな静かなリトリートとして、鉢伏山はきっとやさしくあなたを迎えてくれます。
神鍋高原フェス『まんまる』参加者は、なぜハチ北を訪れた方がいいのか
神鍋高原フェス『まんまる』で感じた、あの高揚感。
音に揺られ、出会いに満たされ、ふと胸の奥が熱くなった瞬間。
それはただのイベントの余韻ではないのかもしれません。
あの日、あなたのなかで動き出した「なにか」。
まだ名前のつかない感覚、理由のわからない涙、ひらめき。
それこそが、“旅のはじまり”だったのではないでしょうか。
その次の一歩として──
ハチ北高原は、とても静かで、でも深い場所です。
鉢伏山を歩くということは、誰かに見せるためではなく、自分のなかの声を聴きなおす時間を持つこと。
それは、まるでフェスという「円(まる)」のあとに続く「線(みち)」のように、あなたをもっと大きな物語へといざなうかもしれません。
ただの「フェス帰り」では終わらない、小さな巡礼の旅。
次にあなたが向かうその道が、自然の中に神話が息づく場所で、あなた自身の内側と再び出会うための祈りと変容の旅路になりますように。